9日、このような記事が、新聞・ネットニュースに配信されました。
漢方薬や鍼灸など日本や中国の伝統医療が、WHO(世界保健機関)の総会で認定される方針だという記事です。
元来、日本の伝統文化である漢方薬や鍼灸ですが、現在では西洋に偏り「格差」がうまれています。
そこで、今回は鍼灸が現在に到るまでどのような歴史があるかを書いていこうと思います。
目次
①歴史は遠く、中国での発祥
②日本への渡来
③明治時代の危機
④戦後〜現代と”まとめ”
①歴史は遠く、中国での発祥
鍼灸は漢方薬とともに、今から二千年以上前に発祥しました。歴史は遠く中国で生まれたのです。
はじめは、石で出来た針が用いられ、金属文明の発達とともに、鉄針が使われるようになりました。その後、診断及び治療の技術の発展により、最古の医書「皇帝内径」が鍼灸の形態化の集大成として紀元前に書かれています。
また、身体を流れる気のルート(経脈)に関する記述も紀元前2世紀頃の文献にもみることができます。
②日本への渡来
6世紀頃、仏教とともに中国から渡来した鍼灸は、奈良時代、律令制度が 整えられる中で、鍼博士、鍼生といった官職が鍼灸を扱う医療職として設けられました。日本現存最古の医学全書『医心方』は、平安時代に鍼博士の地位にあった丹波康頼が当時までに舶来していた多くの中国の医学書をもとに編纂し、984年に円融天皇に 献上したものです。
その後、江戸時代から明治初年にかけ、日本医学の主流は、漢方薬治療と、鍼灸治療が重要な位置にありました。江戸期の『奥の細道:松尾芭蕉』でも養生の一環として足の三里へのお灸が紹介されています。 江戸初期には経穴に関する学術的な研究が数多く編纂されます。
また、日本鍼灸の特徴である管鍼法(鍼を管に挿入した状態で刺入する方法)が編み出されたのもこの時期で、この方法は、初心者でも痛みを与えずに刺入しやすいため、 現在、多くの鍼灸院でこの方法が用いられています。
③明治時代の危機
明治時代に入り、西洋医学が導入されました。開国後の日本は、文明の遅れを取り戻すために西洋化を押し進めたことに加え、伝染病の予防や戦での負傷者への処置などに効果をあげる西洋医学が、国家の経済を発展させて軍事力の増強を促す政策を推進する日本と合致したことにより西洋医学が日本の医療と決定されました。
鍼灸・漢方などの日本の伝統医学は非正統医学として存続の危機に立たされます。
しかし、灸治療が民間療法として広く普及し、 昭和初期には医師の中で灸をテーマとした医学論文を発表する人も現れました。自ら「足三里」への施灸で養生をし、104歳まで現役の医師として活躍し、 1991年に108歳で亡くなった原志免太郎博士は、灸に関する論文で初めて医学博士を取得した医師として有名です。
④戦後〜現代と”まとめ”
戦後の日本の鍼灸は科学的な裏付けが強く求められるようになり、研究も学会レベルで進められるようになります。 昭和30年代頃は、海外、とりわけヨーロッパの鍼灸団体との学術交流も盛んに行われました。
1979年 WHO、鍼灸治療の適応疾患を発表
1989年 鍼灸用語(経絡・経穴名称)がWHOジュネーブ会議で正式に承認される
1997年 米国国立衛生研究所(NIH)が鍼に関するパネル声明を発表
ドイツでも大規模な臨床研究が実施され、 腰痛などに対する鍼治療に対し、保険適用されることが決まる。
2008 年 経穴位置の国際化
そして、また新たに、今春、漢方薬や鍼灸など「伝統医療」がWHO認定されようとしています。それにより医療としての地位の向上や再評価の起点となることと思われます。
日本の鍼灸は「日本の医療」として独自の発展をとげ、中国の鍼はボールペンの芯ほどの太さの物を使用しますが、日本の鍼は髪の毛ほど細いものを使用します。それにより、近年の美容界における「美容鍼」の目覚ましい活躍は、鍼灸の普及に大きな効果をもたらしたと言えるのではないでしょうか。
また、将来の有力な医療モデルである統合医療の中で、現代医学とともに、患者さんの視点に立った最良の治療とケアをすることのできる有力な治療法のひとつとして、さらなる発展をとげています。
私自身も日本の鍼灸師の一員として、鍼灸業界を盛り上げるべく活動してまいります!
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参考
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